温もりに包まれて

「どうして坂本君が泣くの」

涙が溢れて仕方無くて、まるで小さな子どもに戻ったようにしゃくり上げる俺の頭を、
長野はゆっくりと撫でながら、困ったなあと苦笑を零した。

いい年した男が号泣するってどうなんだと、僅かに残っている理性は訴えているけれど、
その訴えとは裏腹に、俺の涙は止まってくれなかった。




温もりに包まれて




「・・・どういうことですか?」
久方振りに訪ねた所属事務所の社長室で、坂本は憮然とした態度を隠そうともしないで、
目の前のデスクに座っている社長を睨み付けた。
「坂本君」
隣に立つ長野が、その態度を咎めようとするが、「いや、いい」と当の社長が手で制した。
そう言われてしまえば、自身がでしゃばる幕では無いと考えたのか、長野は引き下がる。

さすがに腕組みは遠慮しているが、本当ならそのくらいはしてやりたい。
いや、もっと。
この抱いている気持ちのまま、詰ってやりたいとまで思う。
「社長」
坂本は、長野を制した後、黙り込んでしまった社長を苛々と促した。
ふうっと溜息を社長は零す。

「・・・非常に申し訳無い。僕の通達ミスだ」
申し訳無いと繰り返し社長が立ち上がり、坂本と長野に頭を下げた。
そこまでされて慌てたのは長野だ。
「社長、何もそこまでしていただかなくても」
僕は大丈夫ですから。
白い頬に笑みを浮かべて、長野は頭を下げた社長に近付いた。
「どうか、頭を上げて下さい」
ゆっくりと、社長は頭を上げる。
「大丈夫です」
長野がもう1度、同じ言葉を告げた。
坂本は不機嫌マックスの視線をそんな長野に投げるが、
当の本人は気付いていないのか、気付いていてもわざと無視しているのか、坂本の視線には反応しない。

「ああいう番組には慣れています。
子どもの頃から何度もテレビで放送していたのも知っていましたから。
好んで見ることはありませんでしたけど」

だからと言って、一視聴者としてテレビの前で見るのと、出演者としてカメラの前に座るのとでは、
受けるダメージは違うだろうと思うのだが、
長野は「だから、気にしないで下さいね」とまで言った。
本人が「いい」と言ってしまえば、なんだかんだ言って自分のことではない坂本が、
いつまでも承諾しないのは、普通に考えておかしい。
坂本はチっと小さく舌打ちする。
「長野がいいなら、俺からはもう何も言うことはありません」
じゃあ、失礼しますとさっさと踵を返してドアに向かった。
「ちょっと、坂本君」
すみません社長、失礼しますと坂本の分まで頭を下げて、
長野は振り返らずに部屋を出て行く坂本を追い掛けた。




坂本と長野に、単発番組のゲスト出演の仕事が舞い込んだ。
それ自体は有難いことだ。
そういう風に声を掛けて貰えるうちが芸能界では花なのだから。
先方は別に坂本と長野を名指しして来たわけでは無かったのだが、
ちょうど撮影日にスケジュールが空いていたのが2人で、新人マネージャーが話を付けてきた。
そこまではいい。
だが、今回の問題は番組が扱う内容にあった。
何でも「超能力の存在有無に付いて迫る」と言う、
一昔前から何度も何度も放送されている物をまたやるのだと言う。
サイコキネシス、予知、透視、念写、そしてテレパシー。
ありとあらゆる超能力に付いて検証する。
制作側は、各界から様々な人物をゲストとして呼ぶ予定だそうだ。

で、仕事の話を聞かされた時は二つ返事で了承した坂本が、詳しい内容を聞かされた途端にぶち切れた。
仕事を取ってきた新人マネージャーを叱り飛ばし、長野が必死で止めた。
突然の坂本の剣幕に新人マネージャーはすっかり怯えてしまったのだが、
そこを宥めて長野が話を聞き出して、
それで彼が

『V6というグループにとって、超能力検証関連への関わりはタブー』

であることを、まだ知らされていなかったことが判明した。
その結果が、冒頭のシーンというわけだ。
このタブーに付いては、V6に関わるマネージャーには最初に必ず社長から知らされることが決まっている筈なのに、
どうして今回の新人は知らされていなかったのか。
社長に直談判に行くと飛び出した坂本に長野が付き添ったのだ。

では何故、V6にとって、超能力検証関連への関わりはタブーであるのか。
本当の理由を知っているのは事務所の上層部とV6のメンバーのみだ。
彼らに付くマネージャーもチーフクラス以外は知らない。
そうではないマネージャー達は気になるだろうけど深くは追求しないようにと前置きされ、
V6は絶対に超能力検証関連に関わらせないということのみを教えられる仕組みになっている。

V6のメンバーである長野博は、テレパシーと呼ばれる超能力保持者だ。

過去に超能力ブームという物もあったけれど(ユリ・ゲラーという名前を記憶している人も多いだろう)、
世間一般の認識は、基本的に超能力はインチキだという説だ。
繰り返し放送され続ける超能力関連の番組でも、大概はインチキで済まされてしまう。

しかし、長野にとっては決してインチキでは無い。
生まれた時から今日まで嫌でも付き合うしかなかった真実だ。
側にいる人間の心の声が、聞きたくなくても聞こえてくる。
超能力があれば人生薔薇色だ、楽に生きて行ける、そのような無責任な意見もあるが、
実際に持ってしまった長野からすれば、むしろいらない物だ。
無くす方法があるのなら、教えて欲しいと思うくらいに。

つまりそんな長野にとって、超能力検証関連に関わることは地雷なのである。
面白半分、好き勝手に行われる推測の嵐に付き合ってしまえば、
関わる人間の心の中に渦巻く声までが聞こえてしまうのだから、精神的消耗は計り知れない。

長野の真実を知ったV6のメンバーは、話し合いを重ね、
さらには同じように真実を知っていた事務所の上層部も含めて話し合いを続けて、
今後一切、V6というグループは超能力検証関連には関わらないと決めた。
長野本人だけでなく、全員が。
それは、V6というグループ全体で、長野の秘密を守るという決意の表れだった。
ドラマや映画、舞台などにも超能力を扱った物はあるが、それらに関しては、
長野自身が「ああいうのは娯楽だと分かっているから大丈夫」と言ったので、拒否はしていない。
事実、一昨年には岡田が「SP」というドラマで、超能力とまでは行かないかもしれないが、
特殊能力を備えた人物を演じ、脚本の面白さや映像の美しさも伴って、深夜放送でありながら、
かなりの視聴率を叩き出し、映画化まで決定されていた。




メイクを終え、決められた衣装を身に着けた坂本と長野が、撮影の行われるスタジオに入ると、
準備に駆け回っていたスタッフの1人が2人に気付き、挨拶をしてくれた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
2人も礼儀正しく挨拶を返す。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
ではまた後で、そう言い残して2人の側から離れて行くスタッフを見送った。

結局、新人マネージャーが取ってきた例の仕事は、当初の予定通り、坂本と長野が出演することで話が進められ、
本日、撮影日を迎えていた。
事務所の社長権限で出演キャンセルも出来たのだが、
1度受けた仕事をキャンセルすることが、後々同じ事務所所属の他の人間に悪い影響を与えることは否めない。
坂本と長野が所属する事務所を良く思っていない人間も、この業界には残念ながらいるので、
そんな彼らに格好の餌を与えるようなことはしたくない。
そう主張したのは他でもない長野で、当事者の本人がそこまで覚悟するのならと、
同伴する坂本も腹を括り、本日に至っていた。

準備に奔走するスタッフの邪魔にならないようにと、空いていたスタジオの隅に移動しながら、
坂本は隣の長野に声を掛ける。
「大丈夫か?」
「うん」
主語も目的語も無い問い掛けに含まれる意味を、だが長野は恐らく寸分違わず汲み取り頷いた。
「今はまだ、聞こえてくる声は平和な物だよ。準備が忙し過ぎるとか、撮影は時間通り終わるんだろうかとかね」
「それならいいけど。辛かったら言えよ」
「うん、ありがと。ちゃんと制御もしてる。だから大丈夫。そんな顔しないで」
坂本君の方が不安そうな顔してるよ?と長野は笑うが、だってよと坂本は言い募る。
「あいつらにもしつこく頼まれたし」
あいつらとは、V6の残りのメンバーだ。
井ノ原、剛、健、岡田が、
坂本と長野が超能力検証番組にゲスト出演すると聞いた時に大反対して来たのは記憶に新しい。

「絶対駄目!!」
口を揃えて叫ばれた。

坂本も相当長野に対しては思い入れは大きいと自負しているが、井ノ原達4人もそれに負けず劣らずだ。
「お母さん大好き!!」な4人は、そんな番組に出演したら長野が壊れると主張して、
「俺はそこまで繊細じゃないって」と当の本人の苦笑を買っていた。
最後は、今更キャンセルも出来ないからと言い聞かせられ反対することを諦めた4人は、
その後、長野の前で言うと大丈夫だと笑い飛ばされてしまうのが分かっていたからだろうか、
長野がいない隙に坂本に対して「絶対に絶対に長野君を守ること!!」と、固く約束させたのである。

「みんな、心配性なんだから・・・」
長野が面映そうに呟く。
しかし坂本は、口にこそ出さなかったが、そうじゃないと思っていた。
確かにメンバーが長野に対して非常に心配性なのは認める。
自分だって例外無く心配性の1人なのだから認めよう。
だが、多分それだけじゃない。
どれだけ理解しようとしても、どうしたって自分達には長野と同じ能力は無いのだから、
その苦しみもしんどさも分からない。
長野がテレパシーを持っていることを知ってから13年の月日が経っているが、いまだに分かりたくても分からない。
だから、どの程度までならOKで、どこからがNGなのかが掴めない。
それが怖い。
怖いから、出来る限りの心配をしたくなる。
後悔したくないから。
大切な仲間である長野といつまでも一緒にいたいから。




撮影開始予定時間になったが、ゲストの中で前の仕事が押してまだ到着していない人間がいるとかで、
彼らを待つことになった。
「なんか飲みに行くか?」
「あ、行く行く」
このままスタジオでじっとしていてもやることが無いので、坂本は長野を誘い出した。
スタジオから1番近い休憩所には自動販売機が確か置かれていた筈。
記憶を頼りに2人は目的地に向かう。
休憩所には先客がいたようで、近付くにつれて話し声が聞こえてきた。
最初は誰の物か判然としなかった声も、休憩所への距離を目と鼻の先まで詰めれば分かるようになる。
それは、本日の番組司会を務める2人組の物だった。
せっかくだ。
ここで先に挨拶をしておくのもいいだろう。
確認し合わなくても、坂本も長野も考えたことは同じで、揃って休憩所に入ろうとしたところで。



「お前、知ってる?」
「何?」
「ほら、最近出てきたうちの事務所の新人いるだろ?あいつさ、人の心が読めるんだって」
「うっそ」
「ほら、何つーんだっけ?テレパシー?それだってさ」
「ああでも、言われてみればあいつ、妙に人が考えてることを先読みするよな」
「だろー?気持ちわりぃ」
「うわー。俺、もうあいつに近付かないようにしよ。
つーか、そんな危険人物、さっさと病院にでも隔離すべきだろ」
「ほんとほんと。どうせ頭のどっかおかしいんだろうしさ。
でもよ、ああいう奴が俺達が今からやる番組見たらどう思うんだろうな」
嘲笑が2人の口から漏れる。
「あ、じゃあさ。番組で言ってやろうぜ、あいつのこと。超話題になんじゃねえ?」
「いいね。頭おかしい奴だし、話題にでもしてやらないとどうせ芸能界で売れないしな。
うっわ、俺達ってすげー親切」



坂本は血が出るのではないかと思える程に強く、自らの拳を握り締めた。
寒いわけでもないのに、体が震え出す。
目の前の休憩所では、いまだ例の2人組が自身の事務所の新人の話題を声高に喋っている。

怖くて、隣にいる長野が見れなかった。

「坂本君」
でも、足が縫い止められたように動けず、体を震わせていた肩に、そっと長野の白い手が置かれた。
自分を呼んだ長野の声は、普段と何も変わらないように感じられた。

「・・・ながの・・・」
「ね、坂本君、ここは辞めよう。別の場所に行こう」
恐る恐る隣に視線を移動させた坂本の目に、長野のふんわりとした笑顔が飛び込んで来た。
その笑顔のまま、彼は坂本にだけ聞こえる囁くような声で提案する。
ギャハハハと2人組の下品な笑い声が耳を突き刺した。
「ほら、行くよ」
長野の手が坂本の腕を引っ張る。
坂本は体の震えが止まらないまま、半ば引き摺られるように、歩き出した。




2人が辿り着いたのは、もう使われていないスタジオだった。
スタジオと言うよりは、ほぼ倉庫状態になっており、小道具・大道具が集められている隙間に、
体を滑り込ませる。
明かりもまともに点かないけれど、坂本にとってはその方が都合が良かった。

今の自分は、ひどい顔をしているだろうから。

手近にあった椅子に乱暴に腰を下ろし、坂本は項垂れた。
体はまだ小刻みに震えている。

超能力という、いわゆる非科学的な物への世間の偏見は理解していると思っていた。
でも、改めて目の当たりにしてしまうと、自分でも驚く程に衝撃を受けた。

気持ち悪い。
頭がおかしい。
彼らはそう叫んでいた。

人間は己が理解出来ない存在に対しては、「認めない」という選択肢を選ぶことがある。
そうやって、自分とは違う者を罵倒して心の平安を保つ。
長野が生きているのは、そんな世界だ。
偏見に満ち溢れ、下手をすれば精神異常者扱いされてしまう世界。
そのことにどのように感じるのか、きっと永遠に坂本には分からない。
長野と同じ力を持たない坂本には分からない。

もしかしたら長野は、今までにもああいう場面に出くわしていたことがあったのかもしれない。
いちいち坂本には話さなかっただけで。

怖かった。
体の震えの原因は、先程の彼らへの怒りと、そして恐怖だ。

「自分と違っている者は認めない」この世界で、いつの日にか、
長野は潰されてしまうのではないだろうかという恐怖。

長野を守れと、あんなにも4人に固く約束させられたのに。
自分は無力だ。
結局は何も出来ない。
無防備にあんな罵倒の羅列を聞かせてしまうくらいに出来ることが何も無い。



ポンっと、項垂れていた坂本の髪に柔らかな感触が降ってきた。
触れたのは長野だと見なくても確信出来るから、坂本は顔を上げない。
ポンポンとあやすように長野は髪を撫で続ける。
それから、ぎゅっと坂本を抱き締めた。
まさかそんな行動に出られるとは思ってもみなかったから、
驚いて顔を上げると、触れる程近くに長野の顔があった。
相変わらずふんわり笑っている長野の、薄闇の中でもほの白く浮かび上がる肌をただ見つめる。
長野は坂本が座っている椅子の前で膝を付き、強く強く坂本を抱き締めていた。

「・・・ながの・・・」
滑稽な程に掠れた声で、坂本は長野を呼んだ。

「俺は大丈夫」
坂本とは逆に、長野の声はどこまでも自信に溢れて凛と響く。
「・・・ながの・・・」
壊れたレコードの如く、坂本は長野を呼び続けるしか出来ない。

「今の坂本君の心の中は、怒りと恐怖で壊れそうだ。でもね、俺は大丈夫」
トクントクンと伝わってくるのは、長野の心臓の鼓動だ。

「俺には、俺のことを分かってくれる人がいる。
世界中の人に理解されなくたっていい。世界中の人から異常者だと言われたっていい。
坂本君がいてくれる。井ノ原が、剛が、健が、岡田がいてくれる。
どこまでも俺を信じて理解してくれる仲間がいるんだ」
「・・・ながの・・・」
ああ、自分は語彙力を全て奪われてしまったのかもしれない。
同じ言葉しか繰り返せない坂本は、頭の片隅でそう思う。

長野の腕は、坂本を抱き締めて離さなかった。
そうして彼は、どこまでも明るく強く言い切った。



「だから大丈夫。俺は潰れたりしないよ。坂本君達がいてくれる限り、絶対に」



ぶわっと坂本の目から涙が溢れた。
ボロボロと堰を切ったように頬を流れ、止まらない。

「どうして坂本君が泣くの」

まるで小さな子どもに戻ったようにしゃくり上げる坂本の頭を、
長野はゆっくりと撫でながら、困ったなあと苦笑を零した。
坂本は漏れてくる嗚咽のせいで何も言えなくなり、ひたすら自らを抱き締めてくれる長野の腕に縋る。

「ま、いいや。本番が始まるまで、泣きたいだけ泣いていいよ」
うん、うん。
言葉が出ないので首を振ることで長野の申し出に答え、坂本は号泣し続けた。



震える体を包み込んでくれる腕は、とても暖かかった。



「ツートップFestival in V6 2009」参加記念として
主催者・小糸希佐様から頂戴した小説です。
生まれて初めて参加させていただいたお祭りの素敵な記念になりました。
小糸様、ありがとうございました。

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